豊臣秀吉は百姓の子孫にあらず




豊臣秀吉はNHKの大河ドラマや巷の書物では百姓の出身と宣伝され、そう思いこんでおられる人も多いでしょう。しかし、NHKの大河ドラマは所詮、小説、娯楽時代劇に過ぎません。最近では時代を風刺して好きなように製作者に変えられて史実とはかなりずれた形で作り変えられています。あれを史実と思うと大きな間違いです。
実は京都公家の藤原公雅が近江浅井郡(地名)に流され、地元の物部氏の娘を妻にして子供を生ませ、子が生まれる前に帰京し、生まれた子が成長して浅井氏を起し、二人の兄弟が生まれ、兄は浅井氏を継ぎ、その子孫が浅井長政と豊臣秀吉の妻の一人である淀君となりました。
一方、弟は僧になるが、後に還俗して宇多源氏佐々木高島一族の木下家に婿養子になり、木下の姓を得、その子孫が木下藤吉郎秀吉となったというのが真相で、その連綿たる系図を当社が作成しました。
また、戦国時代に後南朝の皇胤―熊沢玄理(くまざわもとまさ)は浅井家より妻を迎え、三方が原で徳川家康と武田信玄との戦に参戦して、壮烈な死を遂げました。
その熊沢家の子孫が昭和の時代に世を騒がせた有名な熊沢天皇です。この天皇は西陣南帝の子孫も称しています。
これらの謎に挑戦した『南朝熊沢家と浅井・豊臣の謎』『浅井一族系譜論考』をぜひお読みください。前者の本では豊臣秀頼の九州亡命や島原の乱・天草四郎も登場します。彼の出自解明にも論及するなど幅広いです。
ある会話: 神山:先生、豊臣秀吉と淀君は親戚というのは本当ですか
先生:・・・・(ほかに用があるのか、手が離せないので黙して語らず)
隅田川:そういう風に先生に質問する神山君よ。私が代わりに教えてあげましょう。
豊臣秀吉はテレビでは、たとえばNHKの大河ドラマで百姓の出身というふうにして描かれていますね。でもあれは作り話ですね。おそらく織田信長の家来として生きていくのに都合が悪いということで、誰かが作った作り話でしょうね。豊臣秀吉が百姓の出身というのは本当にテレビドラマが蒔いた大嘘ですね。でもまともに信じている人が多いですね。
神山:本当ですか。でもそういえば、淀君は秀吉の嫁になってますね。そういう意味ですか
隅田川:いえ、そういう意味ではなくて、まあ、それもそうですが、詳しく言うと、秀吉と浅井長政は系図を手繰れば、もともと系図上、繋がっていて、淀君と秀吉の結婚は同じ一族の近親結婚なんですよ。
小百合:そんな馬鹿な。とても信じられないわ。
健治:いや、本当かもしれないね。先生の本を読むと、秀吉と淀君はもともと親戚で結婚したと書いてあるし、秀吉の子供の秀頼は大阪城で死なずに薩摩に逃げたという伝説があって、それも先生の本を読むとまんざら嘘でない気が
神山:分かりました。今先生に見せてもらって読んでみました。面白いですね。秀吉と浅井長政が遠い遠い親戚で淀君との結婚は仕組まれていた可能性もありそうですね。
あのう、こういうことは考えられませんか。
隅田川:うん、どんなことかね。
小百合:(横で先生の本を一読し、先に神山と勝手に会話したのか)、いわれてみると、可能性あるかな。
隅田川:何だよ。二人してけなしたり、ほめたりしているように見えるが、何の話だ。
神山:いや、秀吉の永遠の恋人で結局結ばれず、死んでしまい、代わりにその恋人の娘を嫁にもらったのかなという感じにも見えるのですが、それから、恋人にはあまり知られていませんが、秀吉の一字をもらったのか、それとももともとの名前なのか、知りませんが、恋人は秀子さんというんですね。

(管理人)
ホームページをご覧の皆様、この会話はスペースの関係で、掲載をここまでとさせて頂きます。続きを聞きたい方はぜひ、『南朝熊沢家と浅井・豊臣の謎』『浅井一族系譜論考』をぜひ購読してください。それを全部読めばあなたも、誰かとこういう会話を交わしたくなるかもしれませんよ。さあ、ここからは度胸だめし。だまされたと思ってこの本を申し込んでみたらいかがでしょうか。読んでまさか、そんな馬鹿なと思う人は思うかもしれません。いやもしかしたら、本当なのかな。そう思うかもしれませんね。
ともあれ、どうぞ、よろしく御検討下さい。全ては本を購読してのお楽しみということにしましょう。